『第12回 仁尾八朔人形まつり』

 仁尾町の歴史は古く,町内に点在する史跡の発掘調査により,すでに縄文時代から人々が居住していたことが確認されております。
 集落の形成は,平安時代に始まったと伝えられていますが,戦国時代の天正年間に,仁保・吉津・比地中村の領主であった細川土佐守頼弘公が,本町の家の山(現在の八紘山)に,仁尾城を築いた頃から急速に発展したと云われております。
 ところが,430年前の天正7年3月3日,土佐の長曽我部元親の侵攻を受け落城,頼弘公は自害。以来,城主の命日であります3月3日の雛まつりは行わす,八朔の日(旧暦の8月1日)の男子の節句と一緒に女子の節句を祝う習わしができたと云い伝えられております。
 初めての男子誕生に,その子の元気な成長を願って,仁尾町ではいつの頃からか屋内の―角に舞台を設け,石,砂,苔,松等で山川渓谷のミニチュアを作り,その場面に武者人形を配し,古くから人々に知られている名場面を再現するという,独特の風習ができあがりました。本町には,伝統を誇る人形作りの業者が数軒もあることが,この風習の形成に大きく寄与したものと思われます。
 初節句の家では,それそれ工夫を凝らし,技を競って,まさに芸術とも云える人形飾りをしましたので,その場面を見ようと見物人が列を作り,町内は大変なにぎわいを見せました。
 この風習は,戦後も十数年間引き継がれ,盛んに行われておりましたが,高度経済成長に伴う核家族化の進行とともに,次第にすたれ,全く見られなくなって30余年の月日が経ちました。他町の追随を許さない,この独特な美しい風習をよみがえらせようと,仁尾町商工会の有志が中心となって,平成8年頃より準備を進めておりましたが,その努力が実を結び,平成10年『仁尾八朔人形まつり』として復活したものです。
 尚,平成15年には「全国ふるさとイベント大賞」のグランプリ(総務大臣表彰)に輝いています。
平成21年9月吉日
  仁尾八朔人形まつり実行委員会

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